2011年7月31日日曜日

伝承館避難所も今日で閉所

 あの日から4ヶ月と20日、今日7月31日をもって伝承間避難所閉所。
朝8時から小雨の中、続々と皆さんが集結し、伝承館の内外の大清掃を開始、さすがに避難当初の百数十名には及ばないまでも約半数の方々の応援で、予定時間を2時間も短縮して清掃完了。
 日常、掃除のプロのお母さん方をはじめ各自が当たり前のごとく分担し合っての清掃は、まさにこの5ヶ月弱の期間、全員が役割分担しながらごく自然に避難生活できた伝承館の雰囲気そのものであった。
 すべて終わって缶ジュースを片手に、涙ながらに感想を述べる人、啄木の詩の一節をうたう人、あっけないようなひと時であったが何時の日か、再び同窓会をしよう!といいながら三々五々離れていった。
 この日がもっと早く来るべきだったし、まずは喜ばしいことなのだが、小雨模様を反映したような少ししょっぱい気分だった。
 しかし、やっぱりおめでとう! といいたい。
そして、まだまだ出発点でもあるが、皆さん!まずは今夜はゆっくり休んで、健康第一で、それぞれの道に向かって、それぞれの速度で歩いていこう。坂道がきつかったらまた声をかけてください。と心で呼びかけた。
今日はご苦労様でした、そして長い間、お疲れさんでした。

2011年7月13日水曜日

梅雨も明け夏本番

一面冬景色の震災当時から早4ヶ月が経過した。
当初120名を超えた避難者も、やっとのことで全員の行き先が決まった。
多くが仮設住宅とはいえ、みんなの表情も安心感に満ちている。
東北も今年の梅雨は集中的な雨も少なく、雨水災害の心配がなかったのは良かった反面、この臼澤の地自慢でもある「沢水」が乏しくなってきた。
雨よ降れ!とも願ってしまうこのごろである。
ともあれ東北も梅雨があけたと同時に夏本番。夕刻の今、外は”ひぐらし”のこえが賑やかな中で、広場では父ちゃんや兄ちゃん10人ほどが木製の長椅子に腰掛けて津波談義だ。
それぞれに間一髪の命拾いで”運がよかった!”である。
犠牲になった人々には、もっと早く、なぜ、の言葉がよぎるが結果”運”がなかった、としかかける言葉はない。
 残されたわれわれの義務=風化させない+しっかり生きる。
そして忘れない3.11!
しかし 4ヶ月ぶりの避難当初の写真をみると、もう忘れかけている! 猛省である。

外の深緑につつまれた臼澤の地、30度を超えた日中の気温も夕闇とともに涼風に変わり、なにごともなかったように穏やかである。